2021年3月12日金曜日

米山 公啓 「健康」という病 (集英社新書)


『7日間ブックカバーチャレンジ』番外編ラスト58日

 今日は実の父親の命日です。10年以上経った今でも、あの日の出来事は鮮明に思い出せます。ちょうど親父が死ぬ9日前に祖母が亡くなり、葬儀やら色々あり、しょっちゅう話が出来たのは良かったのですが、まさかの不幸2連チャンでした。その祖母の葬儀で、親父が背中が痛いとしきりに痛がっていました。一週間もたたず親父はかかりつけの医者に背中の痛みを相談したのですが、原因は特定できませんでした。しかし、その2日後に腹部大動脈瘤破裂で呆気なくこの世を去りました。高血圧で糖尿病の罹患歴を持つ父の背中の痛みは、大動脈瘤に特有の症状でしたが、かかりつけのお医者さんには見抜けなかったのです。親父が最後の診察で預けられた、ポータブル血圧計も不要となり、母が返しに行きました。その時の母の悔しさは想像を絶するものだったと思います。その後、私たちは医者を訴えることはしませんでしたが、多分この先、信じることもないでしょう。

 さて、今日お勧めする本は、この世に絶対的な健康など無いと、必要以上に健康を求める現代の風潮に苦言する一冊です。

 本書の主旨は、健康という状態を区別する言葉は無い。しかし、今は医者が勝手に作った基準値に当てはまるかどうかで、健康不健康の区別をつけている。それっておかしくないですか?っと問いかけていることだと思います。

 例えば、高脂血症の基準が厳しくなってすぐ、高脂血症の薬が認可され、元の基準であれば薬を飲まなくても良い人たちが、基準が厳しくなったことで、お医者さんから薬を処方されるわけですから、製薬会社にとって健康か不健康かの基準は利益に直結する大事な指標となります。

 しかし、健康か不健康かの基準となる数値は、絶対的なものではなく、あくまでも相対的な目安でしかありません。それも、ガンマGTPのように病気になるには他の要因が大きく、それだけで病気と認定されない数値も多々あります。

 結局我々は、ありもしない絶対的な健康を求め、不健康と判定される基準を作り上げたあげく、その基準に振り回される生活にみずから追い込まれてきたようです。

 健康とは何か考えるきっかけに良い本だと思いますので、是非ご一読ください。

 

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