「歎異抄」って、ご存知の方は割と少ないと思うのですが、皆さんはどうですか?ぱっと見、読み方も分かりませんよね。歎異抄と書いて、たんにしょうと読みます。意味は、異義を歎く文章という意味だそうです。南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、仏様に浄土に連れて行ってもらえるという、浄土真宗の教えは、わかりやすくシンプルな反面、いろいろな捉え方のある教えのようです。そこで歎異抄は、親鸞聖人の教えが誤解されていることを歎いた弟子の唯円が、親鸞聖人の真意を伝えようと筆を取った書とされています。
私は、歎異抄に以前から興味を持っていたのですが、少し難しそうで、手が出せませんでした。そんな中、わかりやすい解説で知られる、こちらの100分de名著シリーズで取り上げられていることを知り早速本書を手に取りました。本書は、歎異抄の内容の解説にとどまらず、親鸞聖人の生き方考え方を丁寧に説明しているので、親鸞聖人への理解が深まりました。それにしても、一念義であり多念義でもある親鸞聖人の教えは、わかりやすいのですが、奥の深さを感じました。
奥の深さの例ですが、第3条では、「善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人は言うまでもありません」とあります。普通逆でしょう?この言葉の真の意味は何なのか?なお、このフレーズは親鸞聖人オリジナルではなく、師匠の法然聖人の言葉を親鸞聖人が伝えたものらしいのですが、本当に興味深い書であり教えです。
私の好きな言葉はもう一つ、第13条では、「どんなことでも自分の思い通りになるのなら、浄土に往生するために千人の人を殺せとわたしがいったときには、すぐに殺すことができるはずだ。けれども、思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺さないだけなのである。自分の心が善いから殺さないわけではない。また、殺すつもりがなくても、百人あるいは千人のひとを殺すこともあるだろう」これも深いですよね。
今から800年ほど前の日本の哲学、宗教もなかなかのものだと思いますよ。
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