今から10年くらい前、勝ち組、負け組という言葉がよく使われた。実際に自分の生活を勝ち負けで評価する人も多かったと思う。
ではなぜそんな事が出来たのか?マスコミなどでは、社会の格差が広がったからだという。私は違うと思う。私たちの生活が単一化していた事に大きな原因があると思うからだ、モノクロな社会と言っても良い。
例えば、仕事では出世コースから外れてしまった私は負け組といえば負け組だ。それは仕事という次元に絞ればの話。その一方で、暖かい家族に囲まれ、町内会で自分の住み良い地域を創造し、年に一回仲間とライブを主催する自分の人生は、3勝1敗と行っても良いし、もっと数えて、多勝少敗なのだと思う。もう、勝ち負けで断じることはできない次元だ。
そして、格差では無くモノクロである事に原因があるなら、負け組にならない事は簡単だ。社会の格差は自分ではどうしようも無いが、様々な活動の場で自分の人生を彩ることは誰にでもできるから。