ここ最近、毎週、受験生の息子を土曜の夜9時に車で迎えに行く。
帰ってきた息子の夕食と、私の晩酌で、二人きり鍋をつつく。
ここで、哲学的な、深い会話が始まる。
そこで、私は言った。
「お前は高校2年生まで数学の質問をしていたね、いつの間にか、しなくなったね」
と、息子が、応えて曰く。
「お父さん、sinθの積分って、出来る?」
わからない。出来ない。
「そうか、お前は、お父さんが答えられない様な質問はしなかったんだね。」
と、息子が応えて曰く。
「お父さんに質問をして、答えられなかった事は一度もない」
と。でも、実は最後の方の質問には、手こずって答えていたはず。
そこで、親子で気づいた!
子供は親の答えられそうな事は聞くけど、答えられない事は聞いてこないということ。
確かに、私も親父に聞く事と、聞かない事は、無意識に分けていた気がする。
この先、息子の勉強に関しては、答えられる事はないだろう。
それでも、人生に関わる質問ができる存在で、あり続けたいと思う。
それは、私が最後に親父に、真夜中、電話で泣きながら、人生でどちらに進めば良いかと質問した時の親父の様に。眠たい声で、お前はどうしたいんだ?と、ただただ、最後まで聴いてくれた親父のように、成れたら良いと思う。